日本でも活動を始めて4年目になりますが、この度、やっと!
矢野浩二のオフィシャルウェブがオープンしました!!!

僕は2001年から2016年まで中国を拠点に活動してきた関係で、中国では沢山の人に知ってもらっています。
中国の今の人口は約14億?正確な数字はわかりませんが。。
そのうち、控えめで見ても3億人は自分の事を知ってくれてるかな?(笑)
それでも日本の人口を遥かに超える数字ですから、凄い数字だと思います。
でも、日本ではまだまだ矢野浩二を知らない人が大多数です。
しかし中国でも沢山の人に知ってもらうまで、長い時間がかかりましたし、当然の事かなと思います。
でも、このウェブを通して新たに「矢野浩二という奴を初めて知った!」と言ってくれる人が増えてくれればと思います。

2001年から北京で生活を始めました。
最初は「ニーハオ」(こんにちは)しか中国語を話せない状態でした。
30歳からの異国での生活。
30歳からの挑戦と言えば格好いいですけど、今考えればただの無謀ですね(笑)

言葉が話せないというのは非常にストレスが溜まります。
自分の言いたいことが伝わらない。
伝わらない苛立ちで人と衝突。タクシーの運転手であったり、スーパーの店員であったり。
そしてまた家に籠る。
悪循環です。
でも何かを変えたいと思っていました。
当時、唯一の中国の友達。彼女との交流も容易ではありませんでした。
でも紙とペンを使ってのコミュニケーションを始めた。
日本人と中国人は漢字で繋がれる。
例えば「私は優しい人が好きです」と紙に書いて相手の中国の方に見せれば、相手は「私」「優」「人」「好」を見て、「あなたは優しい人に好感をもってるんだね」と理解してくれます。
何度も何度も書いては見せ、そしてまた相手も書いては見せの繰り返しでした。
自分を知ってもらう、そして相手を知る事ってこんな大変なんだ!と痛感しました。
でも勇気を出して、紙とペンを使ったことによって少し前へ前進したように思えた。
そうなんです、まずは一歩踏み込む勇気を持つこと。
そこで次の景色が見えてくる可能性が出てくる。

「何かを変える」という事においては、どれだけ勉強の成績がいい人でも、悪い人でも、社会の中で地位がある人でも、ない人でも、大人でも、子供でも、女性でも、男性でも、全ての人に平等に容易ではないと思う。みんな平等に大変なこと。
その何かを変えるためには、まず一歩前に踏み込んで人と交流する。
無理せず、まず一歩だけでも。
意外と周りの人は、普通に向き合ってくれる。
自分もそうです。一歩踏み込んでくれたら嬉しくなります。
今の気持ちは、2001年に北京で生活を始めた頃のよう。
一歩前へ踏み込んで人との繋がりを大事にしていく。
その思いです。
初っ端から長々なりましたが、これからいろんな思いをここで紹介していければと思います。
これからもよろしくお願いします!!
今后请多多关照!!

矢野浩二

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