中国行く前に、付き人をしていたというのも僕の人生の中で重要な時期だったと思います。
では、どうやって付き人の仕事を始めたのか?
それをお話したいと思います。

21歳で上京しました。
ある日の昼下がり、小岩の4畳半のアパートでテレビを観ていた僕に、天啓が舞い降りた。

「これや!」

 観ていたのは、テレビ朝日で放送されていた『森田健作の熱血テレビ』。
僕はテレビにかじりついて、「この人の付き人になって、勉強させてもらったらええんや!」
と叫んだ。
「この人」とは、番組タイトルにも名前のある、司会の森田健作さん。
森田さんといえば、まさに熱血漢。
10代の頃の僕は、もう何度目かもわからない再放送を繰り返し観たものだ。
その時の強烈な印象もあって、森田さんなら話を聞いてくれる懐の深さを持っているのではないかと直感した。
「こんな熱血な人にしごかれて、認められたら、俺もその時は一人前や!」

根拠と言えるようなものは何もなかったんですが、ひとまずはその時の自分自身の直感に賭けることにした。
通常、付き人になるには、まずは所属事務所に連絡を入れるのがスジ。
でも、その時の僕には、そんな考えはなかった。
本人に直接会って、交渉するのが一番だと思った。
生放送のテレビ局のスタジオに直接会いに行くことを決意した。
そうと決まれば、行動が早い。

早速、テレビ局へ下見に出かけた。局周辺を下見し、総合受付入口など片っ端から調べ上げた。
その日、丸1日を事前調査に費やした。今考えれば怪しいですね~
翌日、僕は再びテレビ朝日を訪れ、緊張と興奮を押し隠して受付へ向かった。

生放送である『森田健作の熱血テレビ』の放映時間は、
昼の12時から12時50分まで。
前日の調査によって、番組が終わる間際の12時40分あたりに収録スタジオに近付ければ、森田さんとコンタクトがとれるだろうと当たりをつけていた。
第一関門は、受付である。
関係者を名乗り、胸を張って正面からスタジオに潜入するつもりだった。
必要なのは、堂々たる威厳のみ。心臓は早鐘のように鳴っていたが、そんな素振りは微塵も見せずに、前日に何度も練習したセリフを口にした。

「事務所の者ですが、森田さんにアポとってますんで」
「お疲れ様です。どうぞ」
 あっさりと入館証を渡された。完璧だ。
そこで勘違いする。「俺の演技力はすごい!」。

スタジオに着いたのは番組の収録終了間際で、まさにベストのタイミング。
「お疲れ様でした!」という声が方々から上がり、撤収のためにスタッフが慌ただしく動いている。
撤収の混雑に紛れて森田さんに近づいた。そして、顔を突き合わせるなり、いきなりこう叫んだ。

「お忙しいところ、押しかけてしまって、すんません! 私は、役者を目指している矢野浩二と申します。どうか、森田さんの付き人にしてください!」
ところが、森田さんのリアクションは実にあっさり。
「じゃあ、そこにいるのマネージャーだから、資料渡しておいて」
 それだけ言い残すと、土下座したままの僕を置いてスタジオを出て行ってしまったのだ。
まったく相手にされていない! 
僕はスタジオを飛び出て、廊下を歩いている森田さんの前に回り込み、あらためて土下座をした。
場違いな光景に異常を察したのだろう、たちまち数名の大人たちに取り押さえられ、警備員室へ通じるエレベーターの方へ無理やり体を引っ張られた。
森田さんの後ろ姿は、どんどん遠ざかっていく。
「森田さん! 森田さん話だけでも聞いてください!!」
 スタジオ前の廊下に僕の必死な叫びがむなしく響き渡り、目の前でエレベーターの扉が無情に閉じた。
これが、僕の「テレ朝・森田健作さん土下座事件」の顛末である。
記念すべき、僕と森田さんの初めての出会いでした。

今考えれば、恥ずかしい、やってはいけないありえない行動ですね。
若いというのはエネルギッシュがあっていい、ただその出し方を間違えたらアウト。
僕の当時の行動は明らかに×なんだけど、ただ一つ、情状酌量の部分があるとしたら、それは『純粋な思い』というのが心にあったということですね。
全ての大阪人がこうってことはないですけど、大阪人はたまに情に訴える部分がある。
それはいい部分でもあるんだけど。。。でも僕は、どっちか言えば。。好きですけどね、情。
だからと言って、やっていい行為とは言えませんけど。。

テレビ朝日さんには今でも「警視庁 捜査一課長」「相棒」「ドクターX」等の作品でお世話になっている。
全く関係ないですけど、何かのご縁を感じる。

でも、良い子のみんなは人と会うときは必ず事前にアポをとりましょう!
今の若い子は大丈夫ですね。
僕みたいな馬鹿はいません。。(笑)

矢野浩二

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