状況に応じて判断をする能力というのが非常に大事になってきます。
そういう中でたまに、状況に応じた判断ができない人がいらっしゃる。
マニュアルやルール、規則に沿ってしか対応できない人いますよね。
というのも、うちのマンションにフィットネスルームがありまして。
フィットネスルームと言っても、マシンが三台ほどしか置けない、広いとは言えない空間です。
たまに僕もそこを利用します。たいていは1人で運動している時が多い。
自分が運動してる時に誰かさんが入ってきたりとかする場合もあるんですよ。
今はこういうご時世ですから極力そういう一つの空間内での他人様との接触っていうのは極力避けた方がいいですよね。
それで、先日自分が運動してまして、いつもサイクリングのマシンを、そうですね〜40分ぐらいやって、その後、腹筋して後は腕立て伏せしてという流れなんですね。
で、その日はサイクリングが終わって腹筋が終わってラストの腕立て伏せをやろうかなと思った時に玄関のドアが開いたんです。
1人の女性が運動をしに来たので入ろうとしたんですよ。
でまぁ僕の方から「今こういうご時世ですから、5分ぐらいで終わるので、その後来て下さい」と言ったんです。
そしたらその女性が「はぁ?」みたいな表情をして、なんか不満げな様子だったんですね。ちょっと誤解されたかなと思って「いや。。」と僕が言おうとしたら、「何言ってんの?」ばりに首を傾げて出て行ったんですよ。
で僕もドア開けて外を見たら、もうすでにいなくて。
「はえ。。」と思ったんですけど。
そしたら、ものの2、3分後にマンションの管理の方が来て、「あの先ほど女性の方が。。ここはみんなの共有場所なのに追い出されたと言われて。。。」
なるほど。あっという間に消えた速さは、そのまま管理室にクレームしに行ったんだなと。。
向こうが言ってるのは、「ここはみんなの共有する空間だと。このフィットネスルームは共有する空間なのに、なんで勝手に1人だけ独占して使ってるんだ!」
恐らく、そういうことを主張したんでしょう。
彼女が言ってることは正論なんですね。
間違ってないんですよ。
マンションの共有場所はみんなで共有する、当然です。
ただ、ここで考えてもらいたいのは、この今のご時世なんですよ。
東京では毎日感染者が500人以上600 、700、800人以上出ている状況で、医療現場が逼迫している。
医療関係者の皆様に、これ以上の負担をかけないためにも、僕たちが最低限のリスクは避けていく生活をしなきゃいけないんですね。飲食店では食事の時は話は慎む、話す時はマスク着用とか。
あと狭い空間での密を避けなきゃいけない状況で、共有論を論じてる場合じゃないんですよ。
外の広い公園とかは別です。
ただ室内の狭い空間での他人との共用は極力避けていく、リスクを減らすということです。
まぁ1番良いのはそのマンション側がフィットネスルームを予約制にして、例えば1人1時間予約制と言うことでやっておけばこういう問題は未然に防げます。
多分相手の方は、僕が自分勝手なやつ、自分だけがフィットネスルームを独り占めしたみたいな感じで捉えられてるんだと思うんですね。
そこは今の状況判断を完全に誤ってるというか状況を把握していないと言うことの表れなんです。
これはほんと冗談抜きで、自分は今は健康ですし熱もないし、気だるさもなければ、そういう感染した症状は全くないです。自分は感染してないと思います。
ただ今まで1度もそういう検査を受けたことがないんです。
無症状の感染者の例が数多くある中、自分が100%陽性ですとは当然言えないですよ。
それは全ての人に言えることで。
「今日検査して陰性だ!」でも明日も陰性とは限らないんですよ。
もしかして0.1%の可能性で陰性かもわからない。
そういう可能性もありますよね。
で仮に僕が陰性だとして、まぁ陰性だったらフィットネスルームで運動してはいけませんけども。。
症状がないから自分がかかってると思ってないですよね。
で実際自分が感染していて、その女の人が入ってきました。
僕が感染者とわかっていたら、その横で気楽に運動できますか?ということなんですよ。
検査をしなければ、感染してるかしてないかは、本人すらわからない病気なんですこのコロナという病気は。
人を疑う訳じゃないけど、自分すらも疑いにかからないといけない病気なんです。
だからと言って、そんな異常に緊張感を持つ必要はないけれど、自分も含め、周りの人に対して「もしかして。。」という気持ちを持ち続けないといけないんです。
「こいつは安心だ!自分は安心だ」っていうのは今の状況で、ないと考えないといけない。
その辺の危機感の薄さが今の状況に数字として現れてるんです。
まずはもちろん自分の体を第一に考えて、同時に相手のことも考えて、相手に移したらいけないと言うことも考えて行動していないと。
その女性から見たら、その共用施設を共に利用する、規則通り、ルール通り対応しなかった僕を変な奴だと思ってるんですね。
そういう人って、なんでもレール通り歩かないと納得いかないんです。
今の状況を踏まえての判断ができないんですね。レールを歩く考えしかできないんです。
別の例えになりますが、刑事ドラマで犯人を追いかけるときに、慌ててますから、シートベルトしてらんないですよね。
ドラマや映画の世界では、例えばロバートデニーロが刑事役で犯人を追いかけるときに、車乗り込んでいちいちシートベルトして犯人を追いかけますか?
格好良く車に乗り込んで、でシートベルトして追いかけたら、そんな格好悪いデニーロ見たくないですよね。
デニーロも多分そんな野暮な芝居しないですよ。
今の日本て、特にドラマの世界でもそうですけど、例えばシートベルトをしなかったらそういうクレームの電話があったりとか、歩きタバコの芝居があったら、「環境に悪い!」とか。。。エンタメにクレームする例が多いんですね。
だったら、サスペンスドラマで殺人は良くて、歩きタバコはダメなの?という理屈。
歩きタバコもダメ、シートベルトをしないのもダメ、殺人もダメ、言ってることは間違い無いです。
ただ、それは決められたルール、常識の中でそうであって、ドラマや映画、芸術の世界に当てはめちゃいけないんですね。
でも、一部の人はその辺をごちゃ混ぜにして、判断を誤っているのがこの状況なんです。
レールから外れる、ルールに反した言動行動をすると、すぐクレーム又は批判する人達がいます。
この人たちの視野ってメッチャクチャ狭い。
フィットネスルームに来た女性ももし状況を鑑みて「この人は私のことも考えて、早めに退出してくれるんだな。なら5分後に来て1人でゆっくり運動する方がいいな。今のご時世その方が安心だしね。」と言うふうに捉えるのと、「こいつ自分勝手だ!お前の場所じゃないぞここは、みんなの場所だ!お前が指示する立場じゃない!」と捉えるかの違いです。これ全て考える力なんですね。レール通り、ルール通りしか考えられない人は後者になってしまうんです。
この考える力の欠如っていうのは非常に仕事上においても生きていく上でも非常に大事なことで,考えるということが非常にプラスに動いていきますね。
それがないといろんな誤解が起きやすくなります。
今回の場合は僕の方にも詳細の説明が必要だったのかもしれないし、そういう部分においては僕も言葉足らずだったなと言うふうに思います。
ただやっぱり批判批評しがちなこの世の中なんですけども、互いに考える力と言うのはこれからの時代にはもっと必要になってくるんじゃないかなと思います。
最後にこのカードなんですが、中国の方で使われている行動データを通知するカードです。
カードに書いている言葉が、中国の人達のコロナに向き合う姿勢が感じられます。
【疫情防控 人人有责】(疫病の予防は、一人一人に責任がある)